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あばれ王将
カテゴリ:漫画
テーマ:漫画の感想 - ジャンル:アニメ・コミック
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☆あばれ王将(66年)
☆王将/小春月夜(61年)

 「ヒカルの碁」というマンガがあるが、以前、うちの子がテレビを一生懸命見ていた。囲碁のルールを知らないのに見ても面白くないだろうに、と思っていたがそうでもないらしい。

 将棋はよく劇や映画や漫画になるが、囲碁は絶対に無理だろうと思っていたが、やりようによってはできるのだということが分かった。物事は何でも最初からあきらめていてはダメなのだ。

 そういえば、昔、貝塚ひろしの将棋漫画「あばれ王将」を読んでいた頃は、駒の動かし方をようやく覚えたくらいで、将棋を知らないようなものだった。それでも、面白いと思って読んでいたものだ。

 ♪ ふ〜け〜ば とぶよぉ〜な〜 しょおぎのこまにぃ〜 ♪

 村田英雄の歌う「王将」(西条八十作詞、船村徹作曲)である。孤高の将棋指し阪田三吉のことを歌った昭和の名曲だ。裏面は「小春月夜」。この頃のシングルレコードには、面を区別するA、Bの表示がない。

 「吹けば 飛ぶような」とは素晴らしい文学的表現。さすが西条八十先生。初めてこの曲を聴いたときは、まだ、小学生低学年だったので、将棋の駒が吹いて飛ぶわけがないと思っていたが、実際に吹いてみると駒は動くが飛ばない、それで、そらみろやっぱり飛ばないぞと思っていた。小学生の頭では、駒の軽さを「吹いて飛ぶような」と表現していることが分からなかったのだ。

 あの頃は、「山崩し」と「はさみ将棋」、「回り将棋」(「ペコ上り」と言ってました。)専門で、本将棋は知らなかった。 本将棋を覚える前は、「はさみ将棋」で賭け将棋をしていた。(お菓子を賭けるのです。)

 わたしが駒の動かし方を覚えたのは、小学四年の時で、週刊少年サンデーに「あばれ王将」が連載されてからだ。貝塚ひろしの人気野球漫画「ミラクルA(エース)」の後を受け、「あばれ王将」は少年サンデー昭和41年41号から昭和42年18号まで連載されていた。

 この漫画には、「め◆ら将棋(現在では目隠し将棋と言う。)」と将棋の戦法である「ひねり飛車」が登場した。駒や盤を使わずに頭の中だけで将棋なんか出来るわけがないと思っていたが、のちに、プロ棋士が平気でやっているのを見て驚いた。

 「あばれ王将」では、飛車をひねられてから、相手が、

「むっ、ひねり飛車」

と驚くのであるが、本当は、定跡化されているので、最初から気づかないとおかしいはず。

 当時、玉はそのままの位置で、7九の銀を6八に、3九の銀を4八の位置に持ってきて囲うのが最も堅い囲いであると信じていた。そして、後手から端攻めされて、単純に9四歩、9三香、9二飛の形から、○9五歩と仕掛けられ、●同歩、○同香、●同香、○同飛で、あと端を受けずにそのまま飛車を○9八飛成と成られ、角、桂馬を取られて負けるというおろかな将棋を繰り返していた。何度やっても負けるが、その原因がわからなかった。

 少し上達して、泣かされたのが「棒銀」である。定跡を知らない初心者の頃は、この棒銀対策に苦労したものだ。角頭を守るのに、うまく7七銀、7八金の形が組めなかった。

 その後、本屋で将棋の本を、それも玉の囲いに興味があったので、囲いがたくさん紹介されている本を買った。ライバルのいとこが「将棋入門」を買い、私は「新しい将棋の指し方」という本を買った。その本はまだ持っている。

 その時覚えた囲いは、矢倉、美濃囲い、カニ囲い、舟囲い、雁木、穴熊など。ただ、この本は囲いの形を紹介してあるだけで、囲いを組む手順が載っていなかった。実践では、ただひたすら囲いに専念して、その間に攻められて無惨に負けた。

 懐かしい子供の頃の稚拙な将棋の話をしたが、心の中では、

「メキメキ上達して小学生で県代表になり、『神武以来の天才』とまで呼ばれる。」

という夢を見ていた。

 最近は、年をとったので月に1回、薬をもらいに病院に行く。その病院の待合室でいつも「サライ」という中年のおじさん向けのビジュアル系雑誌を読む。この雑誌に珍しく「将棋」の特集があった。しかし、違和感を感じたのは、駒の動かし方まで、図入りで念入りに解説されていたところだ。

 昔は、駒の動かし方くらい男なら誰でも知っているというのが当たり前であったが、今ではそうではないのだ。小学生向きの雑誌ならともかく、おじさん向けの本に駒の動かし方かあ、と情けなく感じた。

 自慢は、平成2年の中原×谷川の名人戦第4局の対局風景を、対局室内で直接写真を撮ったこと。しかも、一眼レフで堂々と。他にも撮っていた人がいたのでいいのだろうと思ってシャッターを押したが、雑誌社か新聞社のカメラマンだった。あとで、毎日新聞の人に怒られた。が、ネガを返せとまでは言われなかった。

 一時期、熱中していた将棋であるが、コンピュータにかなわなくなってやる気が失せた。相手も周りにいないので自然とやらなくなった。 何年も将棋雑誌やテレビを見ないうちに、知らない騎士も増え、羽生名人も中年になっていて驚いた。継続は力成りと言うが、物事は何でも途中でやめると浦島状態になってダメですね。

 思い出の将棋漫画には、ほかに水島新司の「歩(ひょこ)」があるが、これはまた別の機会に書こうと思う。

※ ひねり飛車・・・居飛車で、浮飛車の形から飛車を大きく左翼に展開する戦法。飛車が、2八→2六→7六の位置に、大きくひねるように動くので「ひねり飛車」と呼ばれる。

−古い漫画のレコードなど−

 
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Comments
まいど
平成2年の中原×谷川の名人戦を 室内で観戦
 したんですか そのうえ 写真まで撮影したんですか

どういう手段で 一般の人が 入れるのですか
 そこが今回 とても気になるのですが

そんな経験は 絶対できないですよ うらやましい
2008/11/07 07:19  | URL | まつ #-[ 編集/削除]
大盤解説
今もそうだと思いますが、対局の大盤解説会場に行けば、運よく時間帯が合えば20人ずつくらい順に入れて対局風景を見せてもらえます。
昼食休憩前の1時間くらい前に、3〜5分ずつだったと思います。
今、その時撮った写真を見ていますが、床の間を背に谷川名人が、向かいに中原棋聖・王座が座っています。
90年5月22日、第48期名人戦第4局の2日目です。確か昼食休憩前でした。谷川優勢で、午後4時前にかなり早く終わったような記憶があります。盤面アップの写真もあります。
この年の10月14日には、林葉直子女流王将にサインをもらいました。このときの写真もあります。一番将棋に熱中していた頃です。
2008/11/07 20:51  | URL | トムくん #-[ 編集/削除]

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